息子の入院
まだ何が起ったのか良く分からない。
その日私は仕事が休みで、溜まった疲れを解消しようと、意地でも起きない気で居た。
そこに夫がやって来て、うみんちゅが昨夜から何度も吐いて熱もあってぐったりしているから、小児科に連れて行ってやってくれと言った。
私はどうせ風邪かなんかだろうとまた眠った。
暫くして、夫に怒られると面倒だと思ってのろのろと起きたら、
もう息子は夫が小児科に連れて行った後だった。
すぐに電話が鳴った。
「髄膜炎の疑いがあると言われて紹介状を書いて貰った。
総合病院の小児科に連れて行ってやってくれないか」
その日は亡くなった夫の父の納骨式で、
息子も小学校が早く終わる日だから、みんなで参列する予定になっていた。
夫と夫の母に納骨には行って貰った。
夫は真新しい墓の前で、「幾ら可愛いからって孫を連れて行くなよ」と必死で念じていたらしい。
息子。
ぐったりして自力で歩くことも無理だった。
熱は40度を超えていた。
どこをどう運転したのか記憶がない。
髄膜炎は死ぬかもしれない病気だ。
死ぬかもしれない?
自分の息子が?
考えたこともなかった。
息子を失って、その後普通に暮らせた母親に会ったことなんてない。
事故を起こさないように、何度も何度も自分に言い聞かせながらハンドルを握った。
病院の入口にあった車椅子に息子を乗せていったお陰で、何時間も待つのが当たり前の小児科外来も、すぐ中に入れて横にしてくれた。
年を取った小児科医が息子に「あ゛って言ってみろ」と喉の所見を取り、
「えらげなけん。入院して調べよう」と言った。
やはり髄膜炎が疑われていると思った。
小児科の病棟で、真面目な医者が丁寧に所見を取った。
髄膜炎を思わせる所見は無かった。
しかし、子供の場合、ほとんど所見が出ない事もある。
高熱、頭痛、嘔吐。
髄膜炎を否定しておかないと安心できないのは理解できた。
診断には腰の所に太い針を刺して髄液を取る、腰椎穿刺が必須だ。
大人でも嫌がる怖い検査。
よりによって、痛がりで怖がりの息子が受けなきゃいけなくなるなんて。
検査に付き添いたいと申し出たが、丁寧に断られた。
私もいちいち息子に過保護に関わり過ぎだ。
離れた長椅子で待つように指示された。
息子の泣き叫ぶ声が聞こえた。
繰り返し書いているかもしれないが、私の息子は怖がりで痛がりだ。
押さえつけられて点滴、腰椎穿刺。
恐怖で過呼吸を起こして、緊張の余り手も足も動かせなくなっていた。
帰りたい。帰りたい。もう疲れた。
息子が涙を流して何度も言った。
検査の結果、髄液は見事に綺麗で、幸い髄膜炎は否定された。
しかし、白血球がびっくりする程上がっていた。炎症反応も。
感染性胃腸炎でしょうと言われた。
息子はストレスがあるとすぐに吐く。
お腹を下しやすいが今回は下痢もしていない。
他の病気じゃないのか?不安になるが、いずれにしても細菌感染。
10日ほどの入院になるだろうと言われた。
10日?
この仕事の忙しい時期に。
妹も誰かが見ていないといけないのに。
交替で誰かが付き添う。
どう考えても家の中も職場も回らなくなる。
頭を抱えた。
その夜は夫が息子に付き添った。
息子は食事はほとんど取らないものの、スムーズに眠った。
翌日、仕事を終わらせ、夫と交代しようとメールしたら、
「腰椎穿刺の痕を、尋常じゃない痛がり方している。すぐに来い」と言われた。
普段穏やかな夫が「来い」と言うとは只事ではない。
またもや運転するのが怖いぐらいだった。
刺入部周辺の皮膚の赤みもない。熱は微熱程度で変わりない。
トイレに行く度に、高いベッドから飛び降りたり、よじ登ったりした動きが刺激になって、徐々に痛みが増したらしかった。
私が病室に着いた頃は、仰向けになることもできず、何個もの大きなクッションで体を支えられながら、息子は泣いていた。
体を少し動かす度に、痛いと言っては涙を流して泣いた。
点滴が常に入っている違和感。
ベッドから動けない苦痛。
またいつ痛くなるかという不安。
昼夜関わらず、人が出入りする環境。
ICU症候群みたいやなあーと思った。
担当医は、痛みは一週間ぐらい続く子供も珍しくありませんと説明してくれたが、
「精神的な要因が大きいと思いますので、退院させて貰えませんか」と言った。
熱はもうほとんど下がっていたし、食事も少しは食べていた。
吐いてもいないし、下痢もしていなかった。
翌日血液検査をして、その結果で決めることになった。
その夜は私が付き添ったが、息子は疲れ果てているのに眠れないと言った。
眠りたいのに眠れない。しんどい。しんどい。
少し寝付いては起きて泣き叫ぶ息子を見ながら、とうとうナースコールを押した。
「胃腸炎でこんなに泣き叫ぶものですか?」
当直医の指示で点滴に安定剤が入れられた。
3時過ぎて、ようやく息子は眠った。
当直医が翌朝診察に来てくれた。
赤ちゃんの頃から吐きやすい息子。「少し過敏なのね。寝たら楽になったね」。
ベテラン風の女医。
この大変な仕事を続けている女医は優れた臨床医が多い。
祝日にも関わらず、担当医が来てくれた。
血液検査の結果、白血球は正常値になっていたが、炎症反応は上がっていた。
「炎症反応は1以下になってから退院して貰っています。
この数字で退院して貰った子は、今まで“一人も”いません」
白血球が正常値になったのは、点滴した抗生物質で抑えられているからかもしれない。
朝は食事を取ろうとしなかったし、今もトイレに歩いて行くのもやっとだ。
不安は沢山あった。
それでも言った。
「連れて帰ります」。
医者には責任がある。
私が同じ立場なら同じことを間違いなく言った。
だけど、一晩同じ病室で過ごして、どれだけ入院生活がストレスか判った。
抗生物質の飲み薬を処方して貰って、夫が息子をおぶって、私が荷物を持って病室を去った。
自宅に帰ると、いつも息子が寝る仏間に、夫の母が布団を敷いてくれた。
テレビを点けると、息子の好きな野球をやっていた。
それを見るまでもなく、息子は眠りについていた。
安心しきった顔で、ぐっすりと眠っていた。
翌日から、
息子は次第に食欲も増え、腰の痛みも訴えなくなった。
今でも動いた拍子に痛みが走ることはあるが、一時的なようだ。
妹と笑いながらゲームをしている息子。
何事も無かったかのように。
息子はこんな事も次第に忘れていくのだろう。
でも私はきっと忘れない。
ぐったりした息子。恐怖で動けなくなった息子。不安で泣き叫ぶ息子。
息子に話した。
世界中には病気になっても薬が飲めない子が居ます。
病院に行けない子も居ます。
病院も医者も薬もない場所が、沢山あります。
清潔な水も、十分な食べ物もない場所が、沢山あります。
そして思う。
ただ死を待つ子を、さすることしかできない母親も。世界中に居ます。
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